日本語の

          不思議な言い回しのホント意味

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109)入道雲と夕立
今年(2012年)はいつまでたってっも 熱いですねー。秋雨前線なんてどこ行っちゃった
のでしょう。
秋野菜の畑の作成、サツマイモやら落花生の収穫なんぞを考えながら、日の出とともに起床。
朝日を受けて、わが影が芝生に映る。現実離れして、「あしながおじさん」の影。
そんなこと考えながら、海の方を見ると、入道雲が水平線の上で朝日を受けて白く光り、美しい。
海面には、その影が映り、海は七色に輝く。印象派の画人が見たら、早速の絵描きでしょう。
西のほうの房総台地にはもっと背の高い入道雲が、早くも雨を降らせている。(下側に雨の筋が
見える) 色彩的にも美しいし、その入道雲が、ぐんぐん高さを増すのもダイナミックです。
 と、しばし見とれているうちに、「えー、なぜ入道雲?」、「えー、なぜ夕立?」なんて気にな
りだす。
「入道雲」の「入道」と言うのは「仏門に入った」ことを意味します。その人も「入道」と呼ぶ
ようになっています。入道雲(積乱雲)を見ていると、頭を剃り上げた坊主が向こう向きに座っ
ている様子に似てますねー。それで「入道雲」と呼ぶようになったと。その入道雲が夕立を降ら
せると。
どうも変だなと言う事で「積乱雲」なんて述語が出てくる。なぜって、さっき西のほうにある
と述べた入道雲は、偏西風にあおられて、もうこっちのほうに来て、白い雨を降らせ始めた。こ
れって夕立なんでしょ? 「夕立」と言う漢字をあてたために、「夕方降る雨」なんて錯覚を生
んだんじゃないでしょうか。ここがこの項の解説ポイントなんです。
その上ですよ、「入道」と言うのは「仏門の道に入ること」だとすると、仏教が伝来し、日常
的に、庶民の間で「入道」なる言葉が用いられるようになってからの言葉だと言える。
とすると、仏教の伝来は「西暦538年」と言われているんで、「入道雲」なんて言葉は仏教
が国政に用いられ始め、定着した、平安時代以降の言葉なんだと言う事が言える。
 皆さんの顔にも浮かんでいるが、じゃ、その以前はなんて呼んでいたんだろう。
日本語の原点はどうなってるんでしょうか。
「広辞苑」の解説にもない。考えていないんでしょうね。
入道雲は、朝に夕に現れ、ひと雨降らせる。夕方の雨とは限れない。
入道雲は、先述の通り、仏教が導入され、一般的に用いられるようになったときに作られた言
葉。その以前は? まだ、万葉集や古事記の中でその言葉は見つけていないが、
答えは簡単。でも通説には表れていない。新説なんですが、ここの説の方が蓋然性が高いでし
ょう。
まず、言葉の構成をいつもの「語彙要素の抽出、合成法」に従って分析すると、次のような結
論に至る。
「ゆふだち」とは「ゆ」+「ふ」+「だ」+「つ」の名詞形。
その意味は?
「ゆ」は「ゆげ(湯気)」の「ゆ」が意味するように「あるものの表面に、つかず離れず」
    「形のきちんと定まらない」ことを意味します。「ゆがむ(歪む)」なんて表現もある
でしょ?。
「ゆうひ(夕日)」の「ゆう<ゆふ>」もこのことによります。
「63)あさ(朝)とゆう(夕)」の項をご参照ください。
「ふ」は「振り向く」、「振りをする」などにあるように、行為、所作、振る舞いを意味する
     言葉の要素です。由来は、首を左右に振った時、「ふん、ふん」とか「きゅんきゅん」
なんて音が耳に残りますが、これによると考えられます。
転じて、ある動き,動作を表現することも意味するようになっています。
「だ」は「た」の音変化と考えられますが、「場所」を意味します。
地名では「江田」のように、高い場所、そそり立った場所があります。
「木の枝」は「木の高いところ」を意味します。
「つ」は「くっつく」や「つなぐ」、さらに「つま」、「つがい」にあるように
連接、接合、共存を意味します。
で、「夕立」は「ゆうだつ」の名詞形で、高くそびえ、ゆらゆらと形定まらないことを意味する
ことだと分かります。
 
「入道雲」の源日本語は「夕立雲」であったと推察されます。
今後、万葉集や古事記、常陸風土記なぞを精査してみます。
以上。
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