日本語の

                不思議な言い回しのホントの意味

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14)東とあずま。
  「ひが(東)」と云うのは言うまでもないけど、東西南北の「ひがし」の方角を示す言葉だよな?
「あず」てのはどういう意味なんだろう? 「ひがし(東)」の事だと教わってる。なぜなんだろう、
同じ事を示すのに二通りの言い方があるのは。 南西北にはなぜ二通りの言い方がないんだろう?
なーんて、すぐ不思議がるのはおかしいかねー。
それはねー、結論から言うと、いつも云うけど、「あずま」に「東」と云う漢字を当てたのが不適切
であったため、意味が分かんなくなっちゃってるんだ。
 いろいろな面から検討した結果の解説なので、あっち、こっちへ話がひろがっているので覚悟、覚悟。
)方角を示す言葉「ひが)」の由来
「ひが」てのはどうしてそう呼ばれるのか。
原日本人が「どういう考えでそう呼ぶ様になったのか」と関連するので、興味深い。
まず、「ひが」とうのは「ひむ(ん)が」とか「ひ」とも言われている。「ひ」は
万葉集に出てくる古い言い方だ。現代ではあまり耳にしない。
原意は「ひむ」。これじゃなんだかわかんないかな?
」は「太陽、日」の事。
」は「方向」をいみする言葉の要素。「あっち」、「こっち」の「ち」と同じ意味をもつ。
問題のポイントは「く」。
これはね「す(生す、産す)」の兄弟語。「す(生す)」は現代語では「う(産む)」と云
う言葉が優勢だけど「むす(息子)」って言葉に残っている。「わたしのむす」というのは
「わたしが産んだ子」の意味だ。昔なら、「」。「す」は「他動詞」と云う事になる。
じゃ、「く」はどういう事なのか。これは「す」の「自動詞」形で「・・がうまれると云
う事。言い方を変えると「現れる」とか「発生する」ことを意味する。
これらを考えると、「ひが」、「ひ」、「ひんが」などは「太陽が顔を出す方向」と云う事
になる。非常に厳格、しかも日常的な現象を用いた定義なんだという事がわかる。「科学的表現
の見本だ。
  誤解があるといけないのでちょっと説明を加えよう。似た言葉に「む(向く)」とか「む
(剝く)」などがあるけど、明らかにアクセントが異なる。「く」と「む」を混同した解説が
見られるけど、別の言葉なんだ。(「広辞苑」:「ひむかし」=「日向風」としているが、「向く」の
アクセントは「む」、すなわち、「む(目)」を{く(やる)}こと。)
アクセントの違いで意味が異なってくる例はいくらでもある。実例で挙げるなら、「橋(は)」
と「箸(し)」。これについては機会を見て解説しよう。「ふーん、そうなの!」って解説だよ。
 
参考にいうと、「に(西)」の由来は「ひぬ」、すなわち「ひ」が「なくなる<ぬす>」+
「し(方向)」と思われる。「ぬ」は「ない(無い)」ことを示す基本語。すなわち、「太陽が沈
む方向」と云う事。沖縄のほうでは「いり(西)」というが、同じ考え方だろうね。
みなみ(南)」と「きた(北)」は絶対的な方角として示しにくい。残念だけど、まだ未解明。
 )「」は方向か場所か
つぎに、「」ってのは「方向」なのか、「場所」なのか。この疑問に対するヒントがある。
現代では、あまり話題にならないが、奈良時代の古い言い回しに「鳥の鳴くあずま」と云うのが
ある。記述内容から診るに、今でいう、茨城県、常陸の事と思われる。
とするてーと、「鳥の鳴かないあずま」と云うのはどこなんだ?と云う疑問が出てくる。でしょ?
このことは、すくなくとも「あずま」と云うのは2か所あったという事を意味してるんじゃなか
ろうか。とするてーと、「あずまと云うのは方向じゃなくてどこかの場所」と云う事にな
る。じゃ、どんな場所を云うんのだ?
 3)「」の意味するところ。
は、ある場所を意味する」とするてーと、「」の「は場所を意味する」だな?
   と云う事に気が付く。そういやー、「東鏡(あずまかがみ)」とか「あずまおのこ」ってのは東国と
云う場所での話なんだよねー。
    そうするてーと、答えはず」の意味にあるんじゃなかろうか。ご明察(少し古い言い方だね)
じゃ、「ず」てのは何のこっちゃ? これなら簡単、簡単。「言葉の要素の概念」を思い出せばい
い。(「地名の成り立ち」のコラムも見ておいてね。))
」:遠方ないしは上方、高位の場所を示す。
」:「し」の言い方(音)の変形。即ち「みず」のこと。
両方合わせて、「ぜ」、「ぞ」。いずれも、「低湿地の中の高みやや高くなったところ)」を意味
することがわかる。そういやー「あぜ(畔)」てのもある。「田んぼのあぜみち(畔道)」てのもある。
従ってだ、「あずまてのは、「低湿地の中にある高みの場所を意味するんだが、ホントかいね?
これは大変重要な疑問なんだ。証明されなければ、語呂合わせの解説になっちゃう。
 4)「」の昔の地勢
うーん。ここからが大変なんだ。大変なのは、地名がついた時代の地勢を説明しなきゃならない
ことだ。これにはかなり長い説明が必要だ。がんばって聞いていてよ。
 関東平野はもともとは海であった。100万年前には北面は桐生、足利、栃木まで、西は関東
山脈、南は三浦半島や房総半島付近を海岸とする、通称古東京湾」であった。
そのご、太平洋プレートの進攻により地殻隆起が進行してきた。そのために、この地域では太平
洋側が高く、内陸側が低くなる地勢となっている。下総台地は九十九里海岸沿いの崖の上を最高地
点とし、多摩台地は南西端の多摩川沿いを最高地点とする。
このことは多摩台地や、下総台地の川筋をみるとよくわかる。関東平野の地図で良いから見てご
らん。川筋は海側から内陸側に向かっている。
古河やら足利などの周辺には非常に多数の沼や湖水が発達しているのはそのせいと云うか名残な
んだ。参考に「渡良瀬遊水地」は、むかしは、「赤麻が池」といわれ、広大な沼地であった。
 そうするてーと、地殻隆起があまり進んでいなかったこの地域の昔の地形はどーなってたのか
推定せにゃならないことになる。そんなことどうやって調べるんだ?地図なんかのこってないぞ。
そ、これについては、幸いと云うか、うまい具合と云うか、昔の、縄文期の貝塚が多数見つか
っているので、その分布を調べると、どんな具合に地殻が隆起したかが正確にわかる
 結論を聞いて驚くなよ。正直言って、おりゃー驚いた。
5000年の間に下総台地は最大50m程度隆起したことになる。一年ごとに1cmだ。内陸と思
われていた、埼玉県の白岡付近にはたくさんの海性貝塚がある。貝塚の高度は海抜20mに達する。
と云う事は白岡付近では5000年で15m程度隆起したことになる。
 これに関連した解説は、「日本語語源研究会誌46巻」に「地名 武蔵国のむさしの由来の考
」に詳細のデータと地図を添付し解説してあるので、気が向いたら目を通して。
 この隆起を差し引くと昔の地勢が浮かび上がってくる。なんと、弥生時代には、川越や栗橋付近
まで内海が入り込んでいたことがわかる。「吉田東吾」氏が地名辞典の解説の中で、「川越の仙波沼
付近は昔は海であった、と云う伝説がある」と記していることと符合する。伝説の伝承性ってのは馬鹿に
ならない。トロイの遺跡の発見だって、伝説を信じたヘンダーソン少年の熱意が実ったもんだ。
それぞれ、通称「東入江」と「西入江」だ。その中間地帯は半島状の平野が広がっていた。大宮
辺りが中心と云えるかな。明治の初期まではこの地域は「あだ足立)」と云われていたとこだ。
(言うまでもないけど「あだち」は「向こうの高み」を意味する。)
この地域には、利根川、荒川、太日川、入間川など水量の非常に多い川が流れていた。
おまけに、白岡やら久喜などの周辺の海抜高さは、隆起の進んだは現在でも、15mていど。
要するに平らな場所。水はけが悪く、低湿地、湖沼が多数発達していた。家康公以降、灌漑や河川
の付け替えで、これらの低湿地は水田に転換された。名残として「しま(島)」をはじめ多数の低湿
地を意味する地名が残っている。
その「あた足立)」の周辺には「ひがしあすま(東遊馬)」や「にしあすま(西遊馬)」、「東間
と云う土地が見つかる。いずれも、前述の海岸にそった場所だ。地勢はもちろん、地名まで「あず
ま」のまんま。ここの「あずま」を仮に「埼玉のあずま」と呼ぼう。 
  いっぽう、「鳥の鳴く東」と云われた「常陸」は国府が「石岡」にあった。現在でも霞ヶ浦に隣
接する土地であるが、小貝川など多数の河川、牛久沼など池沼、霞ヶ浦などの入海に囲まれたとこ
ろである。北西側には「筑波」の峰が鎮座している。
すなわち、国府(石岡)の付近はは水域、低湿地に囲まれた土地「あずま」だった。
ここの「あずま」を仮に「茨城のあずま」と呼ぼうか。
5)「鳥の鳴く東の謂われ
鳥の鳴く東」てのはなんのこっちゃ?
 これもねー、あまり適切な解説が見当たらないねー。
 最初のほうでかいたけどー、「鳥の鳴なく東」って云うばあい、それに対比する「鳥が鳴くとは言
えないあずま」と云う概念があったはずなんだ。ここんとこはほとんど議論されていないようだ。
困った事に、原意が不明、と云うか、分からないとなると、逃げ口上なのか、「それは枕詞まく
らことば)なんじゃ」と、分類を説明して終らせるのがこれまでの学問であった(と思える)。
このコラムではそんな論法はお断り。
「鳥の鳴く東」を理解するためには、「埼玉のあずま」と「茨城のあずま」の間には下総台地が広
がり、それぞれの「あずま」は地勢的にも独立していた事を理解しておく必要がある。
そのために、「あずま」といっても、二つの場所が該当するので、呼び名の上で区別する必要があ
った。その両者の差異をその特性により仕分けしたのが鳥の鳴く東の原点
なぜ鳥が鳴くなんて表現したんだろう。ここんとこは、現地に滞在したことがないと分かん
ない。なんでもいいから、たとえば、昼飯を食いに飯屋に入り、「ソバーくいてんだけど、」とか、
バスのおっちゃんに「鹿島いきてんだけど」なんて話しかける。するてーと、親切にいろいろ教え
てくれる。その説明は、まるで鳥がさえずるような抑揚とテンポの語り口。聞いているうちにえも
いわれぬ不思議な気持ちになる。これは茨城弁の特徴だ。その土地の人が数人集まって話している
のを聞くとまるで「オペラ」の中の合唱を聴くようなんだよ。いつも話に出てくる「鹿島神宮」を
参拝し、参道のレストランにでも入ってみるといい。すぐ分かる。
この語り方は「埼玉あずま」の言葉とははっきり違う。埼玉のはどちらかと云うと「東北弁」。
そこで昔の人は「埼玉のあずま」に対し「茨城のあずま」を「鳥の鳴くあずま」として仕分けした
というわけなんだよ。つまりだ、上古の人が「埼玉のあずま」と「茨城のあずま」を分けて表現
するときに「茨城あずま」の方は「鳥の鳴くあずま」と表現した、と云うのが真相でしょう。
  5)鳥の鳴かないあずまの呼び名
ちょっと待てよ、「埼玉」の方は「東北弁」をいみする枕言葉を用いないのはなぜか?
うーん、これを話すと長いんだが、結論だけ言うと、上古の時代には「現在の東北弁」風な言葉や
発音が普通であった。現在でも、島根や鳥取など、中国地方は東北弁に近い発音でしょう?。
そのため、わざわざ区別する必要がなかったんじゃ。
結論
ということで、
 「あずまと云うのは、地勢を示す地名で、「低湿地の中囲まれた)の場所」という一般名称
から出たもの。たまたま、東の方の土地であったために「東」と書かれ、原意不明となった。
滅多なことで漢字充てるんじゃないぞ。近頃変な英語風の言葉を使うのが流行っているけど、
外来語は少し勉強してから使おうぜ。
 各駅停車の電車(の便)を「ローカルラインて自称する鉄道があるけど、ホントは「フルスト
ップサービス」。「ライン」てのは「路線」のこと。「ローカルライン」といったら特急も急行も各駅
も同じで、「この地方の路線」と云う意味なんじゃ。なんか、耳にするたびに「わかっちゃいねーん
だ」と悲しくなる。外国人から見たら、「なんのこっちゃ?」の英語風表現だらけ。
 お湯割り焼酎片手のついでに、「ハイウエイ」ってのはホントは「公道」のこと。つまり、だれで
も「ご自由に」と云う道。無料に決まってるんだよ。外国人は「なんじゃ?ハイウエイの料金?」
お役人と云う官僚は「高い料金取る道路ね(ハイ、フィー、トール、ウェイ=High Fee
Toll Road)」と、分かってるのか分かってないのか。こんなレベルのが上級国家公務員
試験に受かってるんですぞ。給料はえれー高いんだぞ。
君たち、もしも公務員を志すなら、「清く、正しく」。たのむぞ。
 
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