日本語の

                不思議な言い回しのホント意味

                                           TopPageに戻る。

コンテンツ左
31)むかしの国の名前と、上(かみ)/下(しも)
  
むかしの国と云っても、外国の事じゃなくて、日本の中での地方の行政区画での国のこと。
よく使うでしょ、「越後のちりめん問屋のご隠居」。とか「常陸の水戸のもんでおわす」なんて。
さらに、「どこの国からおいでかな?」なんて使い方もある。
そんな中で、ある特定の地名(国名)に「前」、「中」、「後」をつけたものと、「上」、「下」をつけたもの
の二通りの細分類表現がある。
どんなもの(地名)があるか。ここで確認しておこうか。
1)「前」、「中」、「後」をつけたもの
越前、越中、越後
丹波、丹後
備前、備中、備後
筑前、筑後
豊前、豊後
肥前、肥後
2)「上」、「下」をつけたもの
上野国(かみつけの国)、下野国(しもつけの国)
上総国(かずさの国)、下総国(しもうさの国)
これらの国名は、中国の制度を模した律令制の導入により確定、定着したものです。(と言われて
います)。それぞれに今でいう知事(国司:くにつかさ)が置かれ、天皇の意向に沿った国の統治
をおこなう事になっていた。
これらの細分類表現は、都(みやこ)から、旅程上近い順に
1)その地域名に「前(ぜん)」、「中(ちゅう)」、「後(ご)」をつけ分類した。
2)場合によっては、「上(かみ)」、「下(しも)」をつけ分類した。
と云うのがこれまでの解釈であった。私も疑わなかった。
「だがまてよ」、とある日、急に気になりだした。その気がかりな点と云うと、
いろいろあるが、それを記すと、
1)律令制と云うのは、行政的に作られた制度を基にするはずなので、
二通りの表現があるなら、その二通りをどのように用いるかを規定する条文があるはずである。 
が、無い。これまでに、紹介された資料を目にしたことがない。
という事は、律令制以前の事情が隠されている話ではないかと云う事を示唆する。
2)漢語読みなら、「上=しょう」、「下=か」である。
読みから言って、「かみ(上)」や「しも(下)」は律令制度の漢語表現に適合しない
いずれも、古来の日本語表現である。漢字「上」や「下」は当て字である。
3)「かずさ(上総)」と「しもふさ(下総)」の昔の読み。
古くの呼び名(更級日記など参照)は「かつさ」、「しもつさ」であり、
「かみつけ」や「しもつけ」などと同一の呼び方であった。それじゃー、
「かみつさ」や「しもふさ」には日本語の原点を示唆する意味があるんじゃなかろうか。
と云うのが本稿の出発点
まずは、言葉の意味からすると、以下のように考えられる。
1)「かみつけ(上野、上津毛)」と「しもつけ(下野、下津毛)」は
「け(毛)の国」の「かみ」と「しも」の部分に分けた名前である。
「しもつさ(下津瑳)」と「かみつさ(上津瑳)」は同じく、
「さ(佐、瑳)の国」の「かみ」と「下」の部分に分けた名前である。
これらの国々を総合した地域が存在し、それをあらわす言葉としてけの国」と「さの国
があったこと、その地勢上の特性を「かみ」と「しも」で共通に表現し、細分類していたと思われることがうかがえる。
2)「かみ」と「しも」の意味。
ここで断わっておくが、当然のことながら、
地名と云うのは、漢字導入、律令制導入以前からの名前で、多くの場合、
その地勢、植生の独自性を以って表現していた。(「地名の成り立ち」の項を参照して下さい)
「かみ」と「しも」はどんな地勢、植生を表現しているのだろうか。
3)その前に、その地域の地勢はどうなっていたのか?
これはねー、現地に行かなきゃ分かんない。ここでは、地勢図と現地滞在の経験を用いて
説明するけど、一度、観光がてら見に行かれるとよい。
3−1)「」と「
元々の言葉の要素の意味から、「しも」は「水」もしくは「低湿地」を窺わせる。
そもそも、「し」は「おしっこ」の「し」から派生した言葉の要素だ。
もちろん「下」を意味することもある。
結論からいうなれば、
「し」は「し(水)」を「(いたるところに)見る」を意味する。(「霜」は別の意
味で、「水を生むもの」の義:ご参考に)
下総は千葉県の北部の領域の地名で、「下総台地」なる呼びもある。最高高度地点
は南端部にあり、北部へ行くほど高度は下がり、栗橋近くでは15m程度である。
この台地の西域にはかって、荒川(現在、元荒川)や利根川(現在、古利根川)、や
太日川(流路変更があるけど、現江戸川)、右岸は鬼怒川、小貝川など現利根川の源
流構成河川、さまざまな湖沼、銚子を入り口とした入江に囲まれた低湿地のなかの
低高度(最高高度60m、台地の南東端で内陸へ行くほど低高度)のたかみ(台地)
であった。
元々は、「古東京湾」であったところが、太平洋プレートの進攻による地殻隆起に
より、陸となったところであり、かっては現在の地勢からは容易には考えられない
低湿地に囲まれていた。多数の海性貝塚の遺跡がそれを物語っている。
地名の成り立ちを考えるに、隣接して所在していることを意味する「つ」(参考:
「つなぐ(繋ぐ)」、「つま(妻)」・・・など)とともに、「しもつ」は低湿地に隣接
する、ないしは囲まれている場所を意味している
下津毛(下野)は、国府のあった、栃木市を中心とした領域の名前である。ここ
は思川を筆頭に西の方では渡良瀬川、その合流部での赤麻が池(現、渡良瀬遊水地)
など河川、湖沼の発達したところである。その東部には鬼怒川が流れている。南部
には利根川が流れ、その流域は支流や湖沼によりいたるところ低湿地が発達してい
る。徳川治世での干拓灌漑工事により、また、現代の土木工事によりこの地域の流
域は非常に大幅に変更されており、元の姿は現状からは直感的には理解できない。
また、栃木周辺は、伏流水が発達し、いたるところに湧水を見る。くぼみを作れば
池ができるといわれるほどである。
現代でも「しもつ」地域にふさわしい地勢にある。かって、太平洋プレートの進
攻に伴う隆起が現在ほどでなかった時代にはもっとその特性は顕著であったと想定
できる。以上、
「しもつさ(しもうさ:下総)」も「しもつけ(下野)」も共通して低湿地系の場所
に隣接ないし囲まれていたところであることがお分かりかと思う。
3−2)「か」と「か
まずは、言葉を作る語彙要素に意味に元ずく解釈。
「か」は言葉の要素としていくつかの重要な意味をもつ。おもなものを取り上げ解
説すると、
その一つは、「からだ(身体)」や「おか<をか>(丘、岡、陸)」に使われているよ
うに、あるものの構造体を意味する
その二つは、「かんがえる<かんがふ>(考える)」や「そんなことあるか」に使わ
れている様に、疑念を持って考えることを意味する
その三つめは「かむ(咬む)」にあるように、歯でかみ切ることを意味する
「かつ」の関連するものは一つ目の意味で、」は躯体ないし地殻構造を意味する
キーポイントは「かつ」の「つ」である。
「か」が「みつ(満つ)」ことを意味するのか、
「か」が「む(見える)」ことを意味するのか、である。
その結論の前に、その地域の「かみ」を持つ地名はないのかを調べた。
「うはー」というか「えー」というか、「常識だ」と云うか。
「かみつけの国」には「みなかみ(水上)」、
「しもつけの国」には「うなかみ(海上)」なんてのがある。
「海上」は現在では、旭市付近の「海上」が知られているが、上古の時代には上
総の国の一地名にも在った。という事は、後世につけられたものではなく、古くから
の地名であることを意味する。
遠地に住まわれ、現地には縁のない人のためにこれらの土地の地勢を説明しましょ
う。
「上津毛の国」の「水上」にいたる街道は利根川の流れによる浸食のせいもあり、
また造山活動とその表土の流出などにより、急峻、かつ植物の生育希な地勢に満ち
ています。谷川岳の一の倉沢はその最たるもんでしょう。水上(みなかみ)の付近も程度は下がりますが、地殻の露出した崖が無数にあります。
海上」はどうなんでしょう。前述の旭市の屏風ヶ浦から、九十九里海岸を取り巻く絶壁が、ところどころで途絶えてますが、茂原市の後背地まで続いています。多くは地殻が露出した崖状地です。特に屏風ヶ浦は、銚子から旭市飯岡をへ、ここ
からかっての椿海北岸をへ、阿玉台貝塚の方へのびています。
一方の、現在ではあまり知られていませんが、古代の、市原付近の地名「うなか
み(海上)」はどのようなところなのでしょうか。
「上総」は房総半島を中心とし、下総とは細流、「村田川」により分け隔てられて
います。通説では、その昔、東海道を下ってきた旅人は、神奈川県の走水より、千葉
県の富津へ、海路わたり、上総の都(現市原市)へといたり、さらに、下総、常陸、陸奥へと旅したことになっています。その真偽のほどは別に考えるとして、その行路
は房総半島固有の急峻な、地殻丸出しの崖の麓を通ります。少しそれますが、鋸山の
付近は特に急峻で、「崖の上にそそり立つ山」の下を通る場所です。三浦半島側からは
草木も生えない岩肌の露出する崖がそそり立つのが印象的です。
以上のように、「みなかみ(水上)」にも、「うなかみ(海上)」にも共通する地勢上
の特徴は、地殻が露出した崖にぐるり囲まれた場所だという事です。違いは、当てた
字が示すように、
「みなか(水上)」は利根川と云う水量豊かな川の浸食により形成されたもの
であり、
「うなか(海上)」は太平洋プレートの進攻に伴う、地殻隆起により形成された
もの
であるという事です。昔の人がその理屈を知っていたかどうかはわかりませんが。
だが、当てた漢字から見て、内陸の川筋にあった(水上)か、外海沿いにあった(海上)かは認識してたのではないでしょうか。
他にも「上」を用いた地名は多数見かけます。由来は未調査ですが
「かみこうち(上高地)」:長野県梓川上流。後世命名地?
「きたかみ(北上)」:岩手県太平洋岸産地
「しらかみ(白神)」:青森県日本海沿岸。
「かわかみ(川上)」:岡山県大山南麓の渓谷内。
「いそのかみ(石上)」:奈良県天理市東方、布留川南岸、石上神社。
などなど。
[   ]
長々と説明いたしましたけど、結論は、
1)国名につけられる「上」、「下」は原日本語であり、「前」、「中」、「後」とは由来が異なる。
2)「かみ」、「しも」は地勢を意味する修飾語彙要素で、
「しも」は「低湿地」ないしは「河川、沼池」が優勢な土地を意味する。
「かみ」は「地殻」の露出して見えるところ、「崖」の多数存在するところを意味する。
3)「しもつさ(下総)/かつさ(上総)」と「かみつけ(上野)/しもつけ(下野)」は
その古代の地勢上の特徴を示す命名である。
4)古代の海上が上総、下総の両地に用いられていたのは、単なる地勢表現地名であるからである。
5)両地域の基本地名は「け(毛)」と「さ(佐、瑳)」である。その由来は?
この由来についてはまた別項で紹介したい。
ご参考に、かの「きぬがわ(鬼怒川)」は「け(毛)のかわ(川)」を意味する。
 
以上
リストのペイジに戻る。
TopPageに戻る。
本文
コンテンツ右

 

inserted by FC2 system