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65)地名「まま」
「まま」という名前の地名は日本中至る所に見かけます。という事は一般的な地勢語であることを示唆
してます。
広辞苑では、“「崖」ほとんど垂直な傾斜地。”とあります。ほかの辞書でも同様の解説がされています。
この解説の基本的な矛盾は、
1)「がけ(地域によっては“はけ”)」という言葉があるのになぜ「まま」という別表現が併存するのか
2)有名なのが「市川の真間(千葉県)」と「桐生北西部の大間々(群馬県)」であるが、いずれも村落の
地名である。広辞苑の説である「崖」では村落が成り立つわけがない
3)「ままだ(侭田、儘田、真々田、間々田)」とか「まました(儘下)」なる地名が至る所に存在するが
その由来との整合性が説明されていない
などであります。
では「まま」の地名の由来はなんなのでしょう。追って、現地の地勢との照合結果を紹介しましょう。
最初に、これまでに幾度か紹介してます語彙要素の概念を援用する
」:丸い、マウンド状の形。「ま(目)」に由来。「た(玉)」の「ま」も同じ由来。
「ま」:空間、一定の特性の地勢を持つ広がりを持つ場所、間。例:「たま」は高い場所のこと。
元来は視野(め、ま)を意味し、「目の前にひろがるもの=ま」を意味することになった。
(アクセント表記は、強調音を太字で表記してます。言葉の表記法を参照願います)
両方合わせて、
ま」=まるい、球形の、マウンド状の領域、土地。最高位の部位はなだらかで周辺に行くほど
傾斜がきつくなる地勢を持つ場所を意味します。
という事が分かる。
音声的に類似の地名には、
馬場、万場などや、馬込、馬絹などあります。これも「まま」と同様の地勢を模した地名であることを
示唆しているように見えますが、別の機会に紹介します。
地名の成り立ちについては別項
 
それでは、「まま」に関連した地名はどこにあるのでしょうか。代表的なものを列挙しましょう。
辞書などに取り上げられているので、広く知れ渡っているのが
1)市川の「まま(真間)」
この周辺の地名、町名(丁目呼び)は過去において幾度か変更されてきている。現時点では
@真間川と呼ばれる小河川はかっては、江戸川へと流れ込んでいたが、現在は逆方向に流れ、船橋方
面から東京湾へと結ばれている。
Aこの川の南側から総武線市川駅までに真間1丁目から3丁目が現存し、ここがかっての真間の拠点
かと錯覚するが、実は昭和35年ごろの市街地図では、現在の真間4丁目と5丁目の付近が真間1
丁目であった。現在の丁目呼びとは異なる。市川真間駅の成立に合わせて、変更されたのではない
か。
B現代までの市制の変遷や土木工事による地勢改修を極力排除するために、明治初頭に測量された
いわゆる迅速図「(千葉県)船橋、真間を参照すると、「真間」付近の地勢は下記の通りである。
すなわち、前述の小河川の北側の緩い丘陵地の南面から頂部にかけて「真間村」存在する。北東
側、元谷地地勢部を挟んで、下総国分寺跡がある。「まま村」の南面は急傾斜面を経て前述の小
川(現名称:真間川)に至っている。典型的なマウンド型地形地である。いわゆる「真間川」の南側は
田畑、市川新田であり、「真間」地名は該当しない。現在はこの付近が「真間1丁目」と命名されている。
また、斜面には崖状地はない。崖状地が認められるのは国府台地名の斜面下部である。
2)桐生の北側にある「おおまま(大間々)」。群馬県みどり市大間々。赤城山の裾野にあり、渡良瀬川が
関東平野にでる地点に位置し、桐生市西北部、渡良瀬川西岸のなだらかな丘陵地に展開する町。
市街地は、南北に展開しているが、勾配は20/1000程度。渡良瀬川とは落差20m程度の
急傾斜面で接している。西側に早川が在り、桐生側から見ると、典型的なマウンド状の地形の上
にある町。現在の大間々町に対し、赤城駅の南方に「大間々町大間々」の地名がある。これは
明治初頭の「迅速図」では「大間々町字諸町」とされている。その後の改称と考えられる。
迅速図による「大間々」をリンク添付するので参照してください。
 
それほどではないが知られているのには
3)古河の先の「ままだ(間々田)」。東北本線間々田駅より東北方向1km弱にある町。
西北側は恩田川の河床より一段上がったところで、南東側は鬼怒川を中心とした河川群の河床よ
り一段と上がった領域で、緩やかな起伏を持つ。
4)千葉県多古町郊外の「ままだ(儘田)」。田子から冨里へ向かう国道296号の染井交差点より西方に坂を
               上ってゆくと。その北側、多胡カントリークラブなるゴルフクラブがあるが、それに隣接する緩やかな
               小丘陵地。
5)浦安市江戸川南岸「かけまま(欠真間)」。人工河川「江戸川」南岸。北側は東京東部の−0メートル
地帯。南側は現東京湾の浅瀬。いわゆる海岸線沿いの緩い隆起高み。その中の高度2〜3mの場
所。「かけ(欠)」の由来は検討中。近接地名に「かどり(香取)」があり、「か」に共通性がある
かも。
(「か」は「からだ」の「か」が示すように、構造体を意味する語彙要素である。現地点での推察
では低湿地の中でかろうじて人の住める高度を占める地殻構造「かく」、「かどる」によるのでは
ないかと考えられる。「かく」:形作る、「かどる」:形が場所を占める(どる))
6)南足柄市、洞川右岸、河川扇状地内「まました(壗下)。貝沢川と洞川に挿まれた緩やかな丘陵地を
                「儘」と云う事による地名の由。市役所所員説明。
7)富士市、富士川町、富士川西岸「まました(儘下)」。西方に「富士ゴルフ場」のマウンド状丘陵あり。
8)能代市、米代川南岸小高い丘陵地内「おおせまました(大瀬儘下)。西方に小学校のある小高い丘とそ
の西方に田子向なる地あり。小学校敷地部が「まま」であったと考えられる。(要、地誌、史料考察)
 
結論「まま」は、広辞苑の解説する「がけ(崖)」ではなく、マウンド状の地勢地の呼び名である
 
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