個別地名解説

     5−1)東京、明治初頭(1900年)の地図を見る

                                                                     Dec.2011                             Listのペイジに戻る

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1900年ごろ(明治初頭)の東京地形。 
1900年ごろの東京の地図をドイツのドクターより贈られました。ライプチッヒの出版社が1900
年に、日本の迅速図を転載したもので、近代の土木工事の影響を受ける前の東京の地形が読み取れます。
 
迅速図なる言葉は日本ではあまり話題になりませんが、ドイツではいち早く評価し、転載したものです。
年末の一時期、息抜きにでも見てください。
新しい地名は別として、古い地名というのはその地の特徴を表現する名前を受けています。
ですが、古い地形を知るには、その時代の地形を把握する必要があります。これは大変難しいというか、
労力を要する作業を伴います。どのようなことをするのか。
まずは、近代の地形図は迅速図やその後の、明治初頭以降の地図が日本国としての統一規格により残さ
れた地図情報です。これは最低限参照すべき情報です。非常に詳しく測量されたものです。
もちろん、その後にはいくたびも測量が行われ、明治以降の土木工事の結果などが詳しく表現されていま
す。しかし大土木工事以前の地名となると、前述の明治初頭の地図が基本でしょう。
さらに、徳川家康公の幕府による大土木工事をよくわきまえて、その影響を配慮する必要があります。
特に関東地方や、東海道筋の変更(富士川の大改修がよい例です)はよくわきまえておく必要がありま
す。
さらに、日本列島は、太平洋プレートの進行に伴う地殻変動を受け続けています。その影響は、10
00年、2000年、1万年、2万年の期間を考えると、その影響は非常に大きなもので、これを考な
くてはなりません。縄文式時代の遺跡、異物が極めて沢山発見されています。その貝塚遺跡は世界でもまれ
なくらい日本にはたくさんあります。特に関東地方は千葉県を中心とし顕著です。この貝塚遺跡の高度分
布を調べると関東平野の地殻隆起状況が1000年単位で、メートル単位で推測できます。
関東地方の縄文期地形もかなり正確に把握できます。研究結果は、解説,武蔵国」の「むさし」の由来の考察
参照ください。その中の、図武蔵と周辺の地勢」は是非ご覧ください。いろいろのことが見えてきます.
 
話がそれましたが、地名というのはその地を代表するものなので、人の名前と同じく変わることはまれ
です。地名もいろいろ調べた行くと、そんな時代の地形を知らないと理解できないことがわかってくるん
です。
で、ここでは、東京の地名の由来を考える際の参考に、東京の明治初頭の地図を紹介します。見様に
よっては、「えっ!、そうだったのかよー」ということに気が付くとともに、その地名がほとんど、地形
に由来することがわかると思います。あなたの地名研究のご参考になることを期待してます。迅速図を
ベイスにドイツ語表記を用いています。迅速図のドイツ語版です。HPの制限上、圧縮されています。
より高精度のももをご要望のある方はメイルください。1.44MBの原版を開示します。
お酒片手に眺めると実に面白いことがわかってきます。
現在と大きな違いを記すと
1)山手線は海の中を走っていた。
2)東海道線は、新橋が終点であった。新橋から日比谷公園付近までは入り江地形であった。「汐留」、
や「八重洲」にその名をとどめている。
3)品川周辺は、川の河口であり、流路は大きく湾曲していた。低湿地を縫う流れ。湿地帯「しの」
、「しな」を意味する地勢名称である。「しなのがわ(信濃川)」も同じ伝。
4)「牛込」の北部には江戸川が流れていた。現在の石神井川である。千葉県を流れる江戸川とは縁
がない。家康公のお声がかりで、この地域を流れる大小河川の流路付け替えの際、灌漑用水路と
して高台を水路とした。「えど(江戸)」というのは地形名称で、周辺がそそり立つ高台を意味す
る一般名称。
5)石川島はあるけど月島はまだなかった。(もともとは筑島:作った島)
などなど、切がありません。
なお、迅速図は国土地理院の外郭団体である「地図センター(渋谷)」で容易に手に入ります。
以上、年末ご多用中の方の息抜き材料として。
 
参考に、関連する記事を下記に記します。
31)むかしの国の名前と 上(かみ)/下(しも)
20)江戸と江戸川
14)東とあずま
ぜひご参照ください。
以上
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